全文を読み切る

教室の読解指導では、まず全文を読み切り、英文の全体像(フレーム)を速く正確につかむことを、生徒に徹底させています。前回書きましたように、中には問題文をタイトルまで含めて全文音読させてから設問に移る生徒もいますが、これも、英文を「読みこなす」訓練、意識付けの一環として行っていることです。設問をいったん無視してでも全文を読み切る習慣は、英文が長くなればなるほど底力を発揮します。一方、以下のような記述を、ある県外の塾のホームページに見つけましたので、私の指導、考え方との相違などについて述べてみたいと思います。

長文を全部読み通す必要はありません。なぜならじっくり読めば時間がかかり、問題を解く時間が失われるばかりでなく、どんなにていねいに読んでも、文章の読解途中で前半の細かい部分を忘れてしまうからです。授業中はそれでよくても、スピードが要求される入試本番では通用しません。~中略~ 問題を一つずつ解いているうちに文章読解も完了するわけです。』

この文章は、英語ではなく国語の長文読解についての記述であることを、あらかじめお断りしておきます。しかしながら、一部サイトや書籍などで散見される英語の読解手法の考え方と共通する点も多いことから、敢えて借用しました。なお、下線は私が付したものです。

「長文を全部読み通す必要はない」としている理由の、まず「じっくり読めば時間がかかる」ですが、ここでの「じっくり」とは、おそらく「時間をかけてゆっくり」との意味だと思います。しかし、以前「精読と速読は厳密に分けられない」と書いたことがありますが、「じっくり」と「スピード」は矛盾するものでなく、訓練によって両立を目指すべきものです。そしてその訓練は、私の教室では、全文を読み通すことをせずに成り立ちません。

次に、「細かい部分を忘れてしまうから、ていねいに読んでも仕方がない」ですが、雑に読む生徒ほど、細かい部分を忘れる、というより、そもそも細かい部分に注意が向かないものです。これは教室の生徒を見ていても明らかです。逆に、見落としや誤読もなく、ていねいに読める生徒ほど、内容理解の深さ、速さともに両立できています。それはなぜか、ていねいに読むからこそ、他の箇所は忘れても、キーワードやキーセンテンスをを頭に残して読み進めることができているからです。繰り返しになりますが、「ていねいに」は「時間をかけてゆっくり」ということではありません。速く正確に読める生徒は、ていねいな中にも、読み方に緩急強弱がつけられています。ですから、文章が長くなればなるほど、前半の細かい部分を忘れるのはその通りですが、それをもって「ていねいに読む必要はない」と言うのは短絡すぎます。それどころか、読解が苦手な生徒こそ、最初のうちどれだけ時間がかかろうと、「ていねいに読み通す」ことを習慣化する必要があります。その訓練を通じて、キーワードやキーセンテンスを見抜ける力、緩急強弱をつけて読める力を体得していく以外に、できるようになる方法はないと考えます。読む時間は比較的早く短縮していけますが、雑な読み方が身についてしまった生徒がていねいに読めるようになるのは、本人の自覚と相当な訓練、そして時間を要します。

最後の「問題を一つずつ解いているうちに文章読解も完了するわけです。」これは、設問が文章の展開に沿った順番に出てくるので、1番から順に解けば全文読解したのと同じ、ということでしょう。本当にこれが可能ならば、こんな楽なことはありません。たしかに、中レベル以下の問題なら、設問に関わる箇所のみを読んで解答する方が、かえって速い場合もあります。ところが難易度の高い読解問題で、前後の数行を読めば解答できる設問だけで構成されているものは皆無です。どこかに必ず、全文を読んで内容を把握しなければ解けない問題が含まれています。例えば、一度も読み通さずに内容一致問題や要約問題に手がつけられるでしょうか。部分訳の難問の多くは、全体の流れを踏まえていないと解答が困難です。読解問題は、そんな単純なものではないのです。

先般書きました「鳥の目」「虫の目」に続く「魚の目」とは、書き手の意図が潜む伏線を見抜き、行間に込められた繊細なニュアンスまで汲み取りながら、文章全体の流れの変化を読める力のことです。が、通読することなく、設問に関わるパラグラフやセンテンスばかりを読むことに慣れてしまうと、この目(力)はまず育ちません。ましてや、元々読みこなす力のない生徒にとっては、読解学習そのものが、「読める」という手応えからますます遠ざかっていくものとなります。さらには多くの生徒にとって、断片をつなぎ合わせて全体イメージをつかむというような芸当は、困難を通り越して、おそらく不可能と思います。詳しくはコメントしませんが、「□▲リーディング」とか「○×リーディング」といったテクニックも、使いこなせれば、ひょっとすると大きな効果が見込めるのかもしれませんが、使いこなせる生徒が果たして何人いるのか、非常に疑問です。そんなテクニックを中途半端に読解問題に持ち込むと、結局は正解にたどりつけないか、最初から全文を読む羽目になるでしょう。そしてよけい時間が足りなくなるのです。実際、講師には使えても、肝心の生徒が使えないテクニックは、ないのと同じです。それならそんな奇策に頼ろうとせず、「急がば回れ」の諺通りに、遠回りに見える道のり(全読)の時間短縮を目指せばよいのです。力がつくにつれて、それが実は一番の近道であったことがはっきりと自覚できるようになります。

普段教室で長文読解に取り組む生徒は、800語であっても1000語であっても、「一語も読み飛ばさず最後まで読んで設問に答える」時間の短縮と正答率の向上を目指しています。もちろん、生徒によって問題のレベルも制限時間の設定も異なりますが、読解力の向上度合は、要した時間と正答率の推移に見事に現れてきます。このように、「読み切って答える」というオーソドックスな学習の継続と習慣化で、「読める手応え」を感じながら、読解力は十分つけていけるものです。ただし、読み「切れる」ための前提は、その英文相応レベル以上の語彙力を有していることです。太刀打ちできる英文のレベルを決定するのは語彙力のレベルであるとも言えます。