授業と習熟について

中教審、外国語専門部会のまとめの中で、英語の授業が「分からないことが多い」「ほとんど分からない」とする中1生の割合が、20.5%となっています。が、この調査結果は生徒の主観に基づいており、テスト結果などの客観的データの集計・分析を行えば、習熟不足の生徒の割合はさらに高くなるだろう、と推測しています。定着の悪さは、補習でさらに教え込んで解決をはかろうとするのでなく、習熟訓練の時間を増やすことで解決すべきだと考えます。補習を前提とした授業は本末転倒である上に、補習のための補習まで必要になります。

参考:文科省ホームページ ↓ http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/015/siryo/05120501/004.htm

「同じだけ」頑張れば、できる子とできない子の差はどんどん広がるのは当たり前のことです。できない子、苦手な子ほど、できる子の何倍も努力しなければ逆転は絶対にありません。ところが今までの経験からすると、できない子は、その苦手な教科について、できる子と同じだけどころか、その何分の一も努力しない傾向があります。一言で言えば「嫌い」だからです。しかし多くの場合、嫌いになる前に、できるようになるための、習熟訓練の量が少なかったことに、主な原因があると考えています。つまり、授業で知識を伝授されても、それを自分のものにするための主体的能動的な学習の場=「自分でやる」時間が確保できていない、または不足しているのです。

翻って授業はどうかと言いますと、教える側の都合に生徒を合わせて進行しているため、いずれ退屈する生徒、取りこぼされる生徒、ともに必ず出現します。対象が5人であっても40人であっても同じことです。5人なら1番から5番まで、40人なら1番から40番まで、学力差は厳然と存在するからです。教える側は、それがはっきりわかっていても、40人中1番の生徒にも40人中40番の生徒にも、ペースを合わせることはありません。どちらも結果として放置されることになります。授業が「予定通りに」進まなくなってしまうからです。これは「授業」というものの性質上、仕方のないことです。また、教師が一人ひとりの学力差に、わずか数十分の授業中、細やかに対応することは、技術的にも時間的にもほとんど不可能でしょう。学校がなぜ補習をしなければならないか、考えてみればわかることですが、これが「授業」です。

ですから、当たり前といえば当たり前ですが、授業内容の定着は、学校外での生徒自身の学習に委ねられる、と考えておいて間違いありません。塾に通う理由も、ひとつにはここにあるのでしょう。が、場所が塾であろうが自宅であろうが、理解不足の生徒は特に、習熟訓練の時間を、学校外に必ず確保しなければなりません。それを履き違えて、より丁寧に「教えてもらう」ことだけを期待すると、結局は同じことの繰り返しになってしまいます。いくら懇切丁寧に、1対1で教えてもらっても、できるようにならなければ、「できない→嫌い→やらない→ますますできない」のスパイラルから、いつまでたっても抜け出せません。しつこいようですが、できるようになるためには、自分でやるしかないのです。大学では、授業についていけるのも留年するのも、100%自己責任です。自分でやる習慣を、できるだけ早期からつけておくに越したことはありません。

私は基本的に、授業についていくことが難しい生徒こそ、学校以外の場所でまで授業を受ける必要はないと考えています。上述の通り、学校外では「できるようになる」=「好きになる」ための習熟訓練に、最大限の時間を費やすべきとの理由からです。敢えて言えば、学校外でも授業を活かせるのは、常に授業内容の習熟が十分で、新しい知識を学校に先んじて吸収できる、余裕のある生徒だけです。そのような生徒は、授業のスタイルに関わりなく、勝手に伸びていきますので、どんどん先を学習すればよいのです(どんどん先を学習させてくれる塾がどれだけあるかは分かりませんが・・)。しかし、理解不足、習熟不足の生徒に対しては、まったく別角度からアプローチする必要があります。つまり、学校の授業の再現=知識伝授の重ね塗りに終始するのでなく、「わからなくなった手前」「できるところから」の習熟訓練を徹底して繰り返す時間を増やすこと「只管訓練」(私の造語)です。

※お断りしておきますが、上記はすべて、学校での「授業を集中して聞く」態度を前提とした上でのことです。いい加減な態度で授業を受けていて、習熟も何もあったものではありません。塾に通う時間もお金も無駄です。

さて、なぜこのタイミングで、このようなことを書くのかと言えば、英語においては、中1の早い時期に挫折してしまう生徒があまりにも多いこと、そしてそこで挫折してしまった生徒は、その後高校卒業までの6年間、場合によってはその先もずっと、英語で苦しまなければならなくなる可能性が高いからです。「中学に行って何が楽しみか?」の問いに、「英語が始まること」と、今も昔も多くの小6生が答えています。先日も、新中1の生徒が、学校でもらった教科書を嬉しそうに持ってきてくれましたので、さっそく何ページか音読させました。そのような、希望に溢れた生徒たちを、中学入学後わずか数ヶ月で、「一生ものの」英語嫌いにさせてよいものでしょうか?よくないに決まっています。