英語力と国語力

すべての日本人にとって、英語が外国語である以上、その人の英語力は、母語である日本語の力を絶対に越えません。つまり、その人の英語力は、常に自分の日本語力の枠内にあるということです。8月に発表された安倍首相の70年談話を例にとりますと、原文が3500字超、英訳文が1600語以上にもなる長文でした。教室でも、何人かの高校生には、原文と英文を対比させながら、語彙や表現を学ぶ時間を設けましたが、原文の中には、生徒にも私にも馴染みのうすい語彙が多用されていました。例えば、「無辜の民」「塗炭の苦しみ」「恩讐」「恣意」などといった言葉の意味を理解するために、英和や和英辞典の前に国語辞典が必要なほどです。が、いくらグローバル化などと叫んでも、日本語の意味もわかっていない言葉を、英語で外国人に説明することなど100%不可能です。上の語句はそれぞれ、” innocent citizens” , ” immense sufferings “, ” hatred “, ” arbitrary intentions ” と英訳されていましたが、仮にこのような単語や熟語を丸暗記したところで、そこに使われている日本語の意味がわからなければ、それらを使うことは一生ないでしょう。「自分のもの」になっていないからです。ここからも、英語の語彙、特に抽象語彙に習熟するためには、日本語の抽象語彙に習熟しておくことが大前提となる、ということがおわかりいただけるのではないかと思います。このことは、授業のなかでも事あるごとに生徒たちには伝えています。

話を最初に戻しますが、英語が「外国語」であり、「コミュニケーションの手段」である以上、日本語のコミュニケーション(読み書き聞き話す)能力を下敷きにして学習を進めることは避けられません。一つの表現を用いれば、英語学習の目標とは、自分が持つ日本語の力に、英語の力を近づけていくことだと言えます。つまり、日本語でのコミュニケーション能力に限りなく近いレベルまで、英語でのコミュニケーション能力を上げることだということです。ですから、その日本語の能力が高くなればなるほど、それに比例して英語能力も高くなる可能性を秘めているということになります。言い換えれば、日本語の語彙力、理解力、論理的思考力、表現力、教養を磨くことは、結果として英語力そのものを高めることにつながっていくいうことに他なりません。プロの同時通訳や翻訳家の中に、「英語はできるが日本語はダメ」という人は一人もいないことに疑いを持つ人はいないでしょう。また当教室でも、英語で常に高得点できている生徒、難解な入試の要約問題や英作文問題に十分なレベルで対応できる生徒は、例外なく国語力が高いです。ただ、国語力そのものの上げ方については、残念ながら私は専門外ですから、ここで述べることは控えさせていただきます。